「新しい郊外」の家 著:馬場正尊
この本で書かれている生活は「都市」の生活である。
基本的には、都心で仕事をしている人と、生活を構成する人間関係は変わらない(ようだ)。時間が経てば変わるかもしれないが、例えば、田舎的人間関係を求めて、田舎へ移住したという話ではない。
また、これまでの郊外:「ベッドタウン」と異なるのは、単純にコストパフォーマンスを求めて、都心から距離を置くという事ではなく、個人の生活にとって何を大事にしたいかを、思考し、場所が選択され、「家」を作る、生活パターンを考え直すという発想に基づいている。
ただ、「郊外に一軒家」という消費行動は従来からある。
郊外で「一軒家」を買う(売る)際のうたい文句は、都心で得にくいもの、例えば、自然であったり、広さ(人口密度、生活環境)であったりする。
これに関して、結果的に出てきたものは同じもののような気がしているが、アプローチの仕方がその「消費行動」と異なる。
・馬場氏が建築家であった事(建物を造る事ができる)
・住む場所を「リサーチ」する事からはじめている(プロジェクトを立ち上げている)
・都心と郊外の2拠点での生活の実験としている(現在進行形)
これらは、意識として、馬場氏の思考から発せられるものであり、「商品」や「コスト」の都合による消費行動ではない。これは、正に「創造的行為」である。
だが、その周辺に同様に建てられた住居に住む人々にとっては、消費的側面も厳密には含まれると考えられる。
それらの住居に住む人々が、何かしらの問題意識や、創造的興味をもって、もしくは、馬場氏との関係性をもって移住するなど、しない限りは、その消費行動から完全に脱することにはならない。
馬場正尊という住宅メーカーから買った家でしかないような気がする。
この本の中で、新しい状況として紹介されているのは、クリエイティブ職の拠点としての郊外。
ベッドタウンではない。デスクタウンとでもいうのか。
となれば、都心、都会の必要性や形状が変化する可能性があるということではないか。
物理的コミュニケーションの効率性を考えたとき、都市の必要性が見いだせるが、制作業務は必ずしも都心である必要はなさそうだ。報道等を除いて。
コミュニケーションが技術的に高度化し、また物理的にも交通が高機能かつ普及してきている現在ならではの、生活のスタイルの始まりが書かれているのかもしれない。
ここにおいて、いよいよ、高度成長、物理的充実を経た後の、生活が主体となる人間活動の時代となっていきそうな、少し現実味を帯びた期待が持てそうな気がしている。
郊外に住むという現実
そこでの妙な魅力
現実的である、調整された美しさ
最近、東京という街が消費システムであるという見方を覚え、その点、息苦しさを感じている(家賃、食事、広告や店舗の誘惑など)。
しかし、生れ故郷でもあるのだ。
厳密には荒川より外周で育っているので、都心で生れ育つ感じとは異なる。
下町とも異なる。
東京23区でありながら、郊外の要素も含み始める、足立、葛飾、江戸川のグレーゾーンでの生活が染み付き、そのエリアでの生活は、まず不自由はない。なんともないというのが正直な感覚か。
今現在は、試しに川を超えて豊島区に住んでいて、新宿、渋谷界隈へのアクセスが圧倒的に良くなり、そもそも池袋は生活圏内である。この歳でこうした事は、よかったとも思っている。
やはり、仕事にもつながりそうな友人関係と、実際に会って何かする必要性はあるし、そのコミュニティ形成は、これからより大事になっていく。
今持っている、東京都心部で得た人的ネットワークを、ある種「お隣さん」的つながりとして発展させていくことができないか、個人的に興味がある。
しかし、この消費システム東京、いかに、そこからは外れて生活していけないものか、しばらく模索することにするか。
今この時代、東京だからできることって何だ。