(個人的にお知らせ兼ねたメーリングリストを勝手にやっているのですが、今回送った内容が結構いろいろ考えたので、せっかくなのでBlogにもUPします。一部調整。)
東京はさくらの開花が宣言されました。東京では靖国神社の、とある、さくらの木(標本木)が咲くことで、気象庁がこの宣言を出します。これによって東京の「さくらが開花した」という事になっています。
今年から、さくらの「開花予想」は気象庁は行っていません。いま世間的に流れている情報は、民間の気象予報事業者(例:日本気象協会とかウェザーニュースとか)から出されたものです。いわゆる「公式」なものはない状態です。
実際のところ、どのような状況なのか認識、判断するということが、気象庁や報道といった、「公的な科学的観点」や、いわゆる「公共的第3者情報」から、民間の株式会社や個人のtwitterという「独自のシステム」や「個人から発せられる状況伝達」というものへ、そのことの情報源が移行してきている感じが、このことからも受け取れます。
実際には、民間の会社の情報や、twitterの情報を受け取って、その後に、気象庁等の公的機関やTV新聞メディア等の情報によって確かめる、というのが実感です。
いままでは「東京のさくらが咲いた」という認識は、「(靖国神社の標本木)が咲いた」ということで、目の前にあるさくらが数日前に咲いていても、一応、その報道によって東京のさくらが咲いたよね、と、なんとなく全体に合わせるような認識の仕方をしていた感じがするのですが、ここ最近のtwitterで状況を知るということが、事の判断の一情報となりはじめたことで、「東京のさくらが咲いた」という認識は、今まで以上にバラツキが生まれているのではないかと思います。「さくらが咲いた」という判断は、自由になった感じがします。
(ただ、気象庁という公的機関が「さくらの開花予想」=お花見(飲み会)の判断のための情報を、一生懸命やっていたというのは、粋な行政サービスだったんじゃないかなと、それがなくなってしまったのは、なんとなく寂しい気もします。)
先日の埼京線・山手線の運転見合わせの混乱状況も、twitterが速かったです。誰かの「山手線止まってる」というツイートで初めて知りましたが、この段階で、まだニュースサイトでも記事になっていません。twitterで「山手線」で検索してみると、いろいろな情報が入ってきます。当然、個人の情報なので、非常に感情的な表現になっていますが、複数の情報から、なんとなく、これが事実らしいというものが、徐々に見えてきました。その後の報道でもその事を確認することになるのですが、厳密には、報道になることで、事の重大さを確認しているような気がしました。つまり、速報はtwitterによって認識している。事の意味は、twitterの多くの情報で見いだしながら、その後の報道で確認するというような、そんな順番です。
運転再開の情報もtwitterの方が当然早い。報道では確認作業と伝達作業が入るので、その分の時差がある。「運転再開」といいつつも、現場では、微調整が行われているので、「また止まった」とかそんな状況も伝わってきました。この細かい部分までは、合理性などを考えても、報道では伝わらないでしょう。
(この情報、TVの前の多くの人には関係がなくて、その情報を欲しているのは、現場に居る人たちだというのが、妙なところです。今でこそワンセグもありますけど。)
この「世の中の状況を認識する」という事が、非常に民的になってきたなと、これが2010年代なのかと、勝手に感じています。速く多くの情報を手に入れる事ができますが、どう解釈するかという判断も必要になります。正直、この状況をまだまだ判断しきれません。ただ、きちんと考えるという機会が必然的に与えられていて、またさらに発信する(自分も今まさにその行動をしています)、これが世論の一部になって、世の中が動いていくとするならば、もしかしたら、やっと本質的な民主的な社会になっていけるのではないか。そんなことも思いました。発信する事のハードルは、この10年でだいぶ下がったと思います。
大変恐縮なのですが、yahman氏に紹介してもらったので、こちらも掲載させていただきます。
Googleのない世界(内田樹の研究室)
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