2010年2月4日木曜日

[思考] 世の中とのつながり

これは、もう20年くらい前に感じた感覚だが、ラジオをつけていると世の中とつながっている感じがする。(その前はTVをつけているとそう感じた。)

この時に、大事なのは生放送だということだ。僕は、小学校の時にFMを覚え、以来ラジオっ子症なところがあるが、実は、この「世の中の流れを感じておきたい」という、欲求からきている。

中学、高校と、TVは2インチの液晶テレビで過ごしたが、もっぱらラジオをつけて生活してきた。この頃は仙台に住んでいたが、東京に比べれば、ラジオもTVも録りの番組の割合が多い。俺は、レコーダーを聴いているんじゃない!なめるな!っと思ったものだ。

そういう感じなので、東京に戻ってきて、ほぼ生放送で埋め尽くされている放送が聴けるのは、非常に満足している。自分で好きにインターネットが見られるようになったのは、大学2年になる頃、2001年だ。まだISDN(接続方法を間違えて、ずっと電話回線だったけど 苦笑)の時代だ。そう考えると、まだネットをまともに使うようになって10年経ってないんだな。まだそういう頃なので、「つなぎっぱなし」のADSLになったのは、その1年後だったか、そうなると、インターネット(特にYahoo!トピック)が、その役割を担い始める。

でも、いまだに、ラジオをつけている。やはり他人によって編集されていて、公共的に流される情報の方が、まだ安心感があるみたいだ。さすがに、今となっては、TVはNHKのニュースとスポーツの生中継くらいしか、情報として信じられなくなってきている、というか、振り回されたくないので避けているというのが、忠実か。(まあラジオもある程度の台本ありきなんだろうけど、まだ、本心が見える気がする。)

最近では、twitterが何気に、その「世の中とつながっている」感をもつメディアだと、感じている。ある種「TV」だ。編集されていないTV。何を読み取るかは、自分次第。参加しなくても、どんどん情報が流れてくるので、それがTVみたいだ。(なぜ、ラジオではないのか、はわからない。)

でも気が向けば、自分も発信できるというのが、これが本当に次世代が来た感じがする。自分が発信するものとして、Blogが先行しているが、これはwebという広すぎる世界が、受け側にとって、まだ面倒な感じがあった。

twitterは、欲しい情報がtwitterというフォーマットに則って流れるので、情報を探すのも容易だ。面白いのは、有名人の情報と、友達の情報が並列であるという点。これが、「ネクストTV」みたいな感じを受けている。(やっぱりラジオではないみたい。)

世の中の人が、twitter疲れを起こさなければ、しばらくこの方法での情報収集は活かしていきたいものだ。
一気に普及したのは絶妙なバランスだったのかな。(1年前はこんなんじゃなかったぞ!某映画プロモーションで使ってました。)Blogである程度発信力に慣れていた段階で、より瞬発的な発信(=気軽な投稿)をすればいいじゃんというルールがそうさせた気がする。

さらにUstreamが面白すぎて、ラジオのナビゲーターが生放送しながらUstreamもやるというのが、ラジオっ子にはたまらない。だって、ディレクターとのやり取りが聞こえるんだもん。これって放送のOn Offの概念を根本的に変える事態だ起きている気がする。放送は、おままごとになってしまうのではないか。じゃあディレクターのしゃべりも流しちゃえって事にならないのか。

ただ、僕自身、「世の中とつながっている」感は、このラジオの例でいうと・・・、どっちもなのかな。

放送としては、公共な情報として責任を持ってもらいたいので、大事だし、
Ustはそこにいる生身の人の情報だということで、同じ時間を生活しているのが、心強いという感じ。

そういう訳で、最近はラジオをつけながらweb(googleのニュース・Yahoo!のトピックス・msnの産経ニュース、あと気象庁のレーダー)を見ながら、twitterのタイムラインと下手すればUstreamという、4元のリアルタイムメディアに囲まれながら過ごしているという、(これを書きながら思うが)とんでもない状態になってしまっている。

この欲求を何かに活かしたいものだ。
そういうわけで、「ライブ」にこだわるんでしょうかね。「ライブ」が好きです。

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