2011年4月30日土曜日

5月1日 PartyTime#23 [DJ]

2009年の12月の回からDJとして参加している"PartyTime" 23回目のイベントを5/1に開催します。(明日ですけど、、、そうなんです。すみません。でも、お知らせします。)

徐々に恒例となりつつある、リクエストDJmixを今回もプレゼント!!
当日もリクエスト曲を混ぜつつDJします!!これからも続いて行くので、ぜひご参加を!!

すっかりJ-POP DJになった印象すらありますが、ちゃんとお洒落なものも取り混ぜつつ(笑)、
しかし、J-POPのつなぎも、PCDJのおかげで、かなり熟れて(←コナレテってこう書くんだ!!)きております!!(スクラッチはできませんが、目指せ、ピストン!!)

311以降、鬱憤溜まった時期を過ごした上でのゴールデンウィークということで、歌える曲を中心にDJしますよ。歌いたい方はぜひいらして下さい!!一体感の中で歌うのは、カラオケともひと味もふた味も違いますよ!!GW前半戦、東京でまったりな方は、ぜひ!!

あと、少し時間経ってしまってますが、4月中頃に僕が行ってきた、仙台、石巻、女川の状況についてもご紹介する時間を設ける予定にしています。


PartyTime #23
2011.5.1
18:30-21:00+ (入場:18:00〜)
at 早稲田Le Cafe RETRO
5000縁(税込)

主催者より↓

※ 参加費の一部を寄付します。今回は義援金になります。自分達が笑えることで、誰かが笑顔になっていく。そんな関係も素敵だなと思うんで、協力よろしくお願いします☆

※ 毎回「どんな人が来てるのか知りたい」というリクエストは多くあるので、自分の応援している活動の仲間を紹介させてもらおうと思っています。ワールドカップじゃないけど、夢に向かって頑張ってる人を応援することで人は元気になれるものだと思ってます。ぜひ、元気をもらいに来てください。

※ PartyTimeとは…自分や仲間の友だちが一つ一つの活動の枠を超えて集まる、「全員集合」的な飲み会。自身の見聞を一気に広げる機会として、新しいことを始めるきっかけとして、久々の旧友との再会を楽しみに、ぜひ来てくださいな。お友だちも呼んでもらって全然OKです。


Party Time
http://welinkpartytime.blogspot.com/

Le Cafe RETRO
東京都新宿区西早稲田2-1-18
http://www.lecaferetro.jp/

2011年4月16日土曜日

[感じた事] 今私たちにできる事は本当に小さい(けど・・・)

んー。

まず、事実のご報告。
14日、15日と、石巻市のボランティアに参加してきました。アーティストのタノタイガさんの情報もあり、受け入れ態勢がしっかりしていて、初心者でもわかりやすいので、参加してきました。

タノタイガさんのブログ

いろいろ事情が掲載されていますので、ぜひ見てみてください。4/6あたりから、詳しく載っています。基本的には4/7の記事と僕の時も変わっていませんでした。


石巻市のボランティアの拠点は、石巻専修大学です。
受付について「ボランティア保険」は、自分の居住地の社会福祉協議会で入っておくのが基本という事。
現地でも入れますが、たぶん、準備して行った方が、先方の負担が軽くなるんじゃないかと思います。僕は台東区で加入して向かいました。その場で発行され、次の日から年度いっぱい有効。振込のために郵便局に一度行くので、その時間は予めみておいた方がいいです。

予め準備するものリスト
・マスク(なるべくしっかりしたものがおすすめ)
・帽子or汗対策のタオルなど(頭ぶつけたときの緩衝にも)
・ゴム手袋(作業用のざらざらしたもの)
・軍手(ゴム手袋の内側用、汗対策)
・長靴(僕は作業靴型、つま先に鉄板は行ってるやつ。底はスパイク的なもの。)
・長袖(泥がついてしまった物をよく運びます。ケガ予防も。)
・ウィンドブレーカーなど(僕はスノボスーツ使用しました。)
・昼食(仙台などで調達、石巻でも可。)
・水など(これからは暑いので1リットルくらいあるといいかも。)
・携帯電話(緊急地震速報のために。鳴ったら即安全確保。)
・ゴミ袋(多めに、自分の汚れた道具などを入れておくために。)
・(できれば)ヘルメット

こちらも参考になりました。
石巻市のボランティアセンターのサイトもご確認を。様子を確認するために前日に電話するのもありみたいです。

で、一日目は、海からは割と内陸に入った石巻バイパス辺り、川を上った津波の被害を受けたお宅の1Fの片付けでした。失礼かもしれませんが、わかりやすく伝えると、街中が水槽の中に入ってしまったという感じ。一ヶ月経っても、家の中に水が残っている。




家の方々は、想像よりも雰囲気が明るくて、少しほっとしました(皆さん強いんです)。1Fにある水に浸ってしまったものは、全て処分するとの事でした。ひたすら、ゴミ袋に家財を入れていく、運び出す。タンスの服が水を吸っていて重くなっている。津波があった11日から家の中は時間が止まっていました。物の多さは生活感を物語る。しかし、泥だらけ。畳は水を吸うと、大人4人でも重い。ガラスの破片も散っている。燃えるもの、燃えないものをわけながら、片付けていきます。幸いに天気がよくて、ただ、青空を背景にした家財が空しい。


ボランティアはだいたい6〜9人程度のチームで動くようです。この日のリーダーはまだ20歳前の若者です。地元の子で、一番頼りがいあって、素晴らしかった。


石巻で出たごみは、今回の震災対策のための集積地に運ばれるそうです。100年分のごみの量だそうです。

石巻では、キャンプもできます。僕は友人知人に会うために、夜は仙台に戻りました。物も仙台中心部なら基本不足ありませんので、その意味でも。(でも仙台にいながら車中泊。意外にHONDA FITは居心地がよく。後部座席をフラットにして、寝袋で寝てました。
移動は、とにかく行きも帰りも、三陸道は渋滞。電車もしばらく走らないし、支援車両も多いです。一般車は時間を見て、石巻に行く時は仙台は6時台前半に出ないと混みます。できるなら一般道で。45号線は、そんなに渋滞しません。

仙台駅と石巻専修大学は、ボランティアバス、有料の宮城交通バスもあります。
自動車で乗り込む場合は、作業時に使用するつもりで(受付で申し出ましょう)。荷物スペースもあるといいです。道具を載せます。また、夕方以降は車がないボランティアさんの足(買い出し等)として協力してあげてください。

二日目、渡波町という石巻市では被害がひどい地域。

海に近く、こんなに水面近いのかと驚きました。

聞けば、70cm超地盤沈下したそうです。そして、昼にはこんな感じ。
調べたら、明日(16日)から大潮で、高潮の警戒情報が出ていました。
畳を出し、泥を掃き出し、最低限の作業をして継続扱いということで、昼過ぎに切り上げ。
二日間のボランティアの予定は、少し早く終わりました。


賛否の程はあるかと思いますが、石巻まで来ていますし、もう少し知っておこうと思い、女川まで足を延ばしました。途中は、それ程ひどくはないですが、いよいよ女川というところで、、、

女川港を臨んでいます。

少し左に。建物は女川町役場です。

女川バイパスを高台から臨む。


ここからは感情的な事。
東京から仙台へ東北道で向かいました。福島は高速とはいえ、路面が波打ってるという情報。さあ、福島県という県境の看板を過ぎたとたん、防音壁が崩れている。(何もりちぎに。。。)ここから、被害を目の当たりにし始めます。NHKラジオで、緊急地震速報を警戒しながら進みました。

路面波打つ東北道を走る。夕方だったので、対向車線は、いくつもの警察車両集団とすれ違います。仙台南ICで降り、286号で仙台市内を目指しましたが、目立った被害は見受けられません。
一安心。
段差は所々あるけど。紳士服屋の店内照明は、いまや東京じゃあり得ない明るさだったし。

中心部の駐車場で一泊して、仙台東部道路から三陸道へ。仙台市は東部道路より東で津波被害。高くなっているので、海岸線まで見えました。TVで見ていた光景を初めて目にしました。
ついに来た。

石巻の市街地に入るといよいよ、津波被害地を走ります。道にこびりついている泥で実感。乾いた埃が舞っています。マスクはあった方がいい。回収を待つ、家財が道の両脇に並びます。石巻駅周辺も見ましたが、とにかく、一ヶ月経ったとは思えない。そして、何年かかるんだという感じ。

ひと月、全国民が三陸に集合して、片付ける、それくらいの改革が必要と思わせます。
石巻でもそんな感じ。がれきの高さも、基本、人の目線の高さ程度。でも、これは、三陸の被害の序の口。

そして、女川。3Fくらいまでの高さで、壊滅しています。目に入ってくる景色が、裁ききれなくて。とにかく圧倒されてしまう。一気に、いろんな事を考えさせられてしまって、頭がパンクしました。変な汗をかいて、自分は何をしに来たんだと思って、居てはいけないと思い、引き返しました。車の中でうめくしかなかった。

ものすごい事実が広がっているんです。現状、宮城では南部〜石巻の沿岸はボランティアが入れるよう(未確認、だいたい聞く話しでは。)ですが、それよりも奥は今は自衛隊の総力レベルなのでは。もう一ヶ月が過ぎたんです。次を始めるのに、見通しなんてつけられない、というのが本音だと思います。

この現実の大きさに「今私たちにできる事」といって、東京で想像してやれること。
これは本当にちっぽけな事なんだと痛感しました。
メディアを通じて伝わるのは、数十分、数百分の一、、、。計り知れない想像をしても、わからないと思います。それでも、支援していかなければ、いつまでたっても次に進めないのです。そのような覚悟を、心のどこかに持って、そして一生生きていく必要があります。

同じ時代に生活しています。ぜひ、お手伝いに現地に来て下さい。地続きの土地でひどい状況が広がっています。最初は家の片付けでさえ、取りかかる時は大変だなぁと思いました。それでも9人でやっていれば、その日に目標は達成できて、苦しさはありません。結束して作業していけば、気は楽に進んでいけるんです。


またレポートに戻りますが、
女川から仙台に戻るのに、野蒜を通って帰ってきました。ここも、手がついていないのではないかというくらい、惨状が広がっています。申し訳なくて、写真は撮りませんでした。自分の記憶に留め、人に話しをして伝えていきたいと思います。

松島は被害が小さいそうです。このような大災害があっても、このように残ってきたのかなあと思わせられました。素晴らしいところです。七ヶ浜は、丘の上と下のギャップがあまりにもある。塩釜の中の方までは、ちょっとわかりません。45号線辺りを通っていくだけで、被害があったことはわかります。

そして仙台港の北にたどりつき、まだ日があったので、東部道路より東側の閖上に抜ける道路を走ってみました。ここは、、、。
語弊がないように。確かに、もともと田んぼ地帯ではあるんです。

荒浜小学校あたりはこんな感じ。


逆行で市街地が見えないのが憎い。

今日仙台は桜が満開になったそうです。


被害の範囲はとにかく広いですね。そして、その場所毎に事情があります。
全国ニュースは、福島の放射能問題がトップに来ます。福島も大変な状況です。東京より福島に近い宮城では津波被害をどう片付けるのか、奮闘しています。茨城も同様なのかと思います。他の被災地域も。

僕も含めて、帰る場所が無事な方々は、それぞれゆかりがある地に、ボランティアに行って少しだけでもお手伝いして、様子を知って、戻って友人に話をする。そして、それを聞いた人々がまた行動する。この連鎖が必要なんじゃないかと思います。

否が応でも、次の時代に突入してしまったのではないでしょうか。やるしかないんです。共に生きていきましょう。

2011年4月10日日曜日

個人的な事

13日の(水)〜17日(日)で宮城に行く事にしました。

主な目的は友人の顔をみるため。結婚式に来てもらうつもりだった高校時代の友人たちと、土曜日あたりに飲めたらいいなと、思っています。仙台の街中はガソリンの不足もないようなので、足はなんとかなるか、という見通しのもと。あとは、高校時代にお世話になった先生の所にも行くつもりです。必要があれば、一日がかりでお手伝いしてこようというつもりです。

もう一つの目的は、今のうちに、宮城の地がどういうことになっているのか、自分の目で見て、記憶したいと思ったからです。自分でどう感じるのか。怖い気がしています。しかし、現実なので、見る事ができるなら、そうした方がいいと。関係がある地だし、知っておく事が今の時代に生活している者として大事なんじゃないかと思いました。

それでどうするかは、まだわかりません。何か考えて、事実や感情を伝えるような事ができれば理想です。とにかく見るために、ボランティアで一日二日、働いて来ようと思っています。

正直な気持ちはこの二つです。自分勝手かもしれません。


前者の目的は、記したまでの事。しばらく顔を見せてなかったので、何もこのタイミングで、というのもありますが、こういう時だからこそ、そして体は無事だったからこそ会いに行こうと思いました。(大概、何かあってから、慌てて行動するという、、、。ゴメンナサイね。)

後者の目的は自分勝手な感情からですが、結果的に少しでも何かお役にたてるのなら、やればいい事なのかなと決断しました。余震もまだ続いているので、不安はもちろんあるのですが、友人たちもその中で暮らしています。それを思えば。出来る限り安全は確保した上で中野栄より東側に行ってこようと思っています。

そんな訳で、ボランティア精神という意味では、率先して向かっている方々に比べれば甘いと思います。邪魔にならないようにしてこようと思います。

なお、かなり個人的に行動しますので、その前提ですが、東京から自動車で向かう事にしています。時間等も僕の都合になってしまうと思いますが、少しでも有効に使えるなら、同乗や物を持っていってくれなど、御申し出下さい。今のところ、自分一人です。