墨田の現代美術製作所で開催中の「アトミックサイト」展を見てきた。
現在日本で起きている状況、原発事故の問題が、きちんとアートに昇華され、目の当たりにできる展覧会だった。入場は無料なので、東京近辺の方は、美術関係者ならずとも、一般的に見やすいものになっているので、ぜひ一人でも多くの人が触れて、現状を考える一つの機会になってほしいと思う。
率直な感想は、この期間で発表できている事が素晴らしいし、この展覧会を行う事が、現状の日本社会に対しての一つの行動になっている事にも価値がある。元来、芸術がもつ社会的役割が行使されている。
現状、日本の多くの表現に関わる人々は、2011年の今の状況について、何かしら考えを発信しているだろうか。それは、何も専門領域にとらわれず、ブログなどを用いて文章で表現してもいいと思う。
自分自身も感情はもどかしい。今起きている状況を自分なりに理解して、どう行動すべきか見極めたいと思っている。問題と思う事があまりに多過ぎて、何をどう調べていくべきか迷う。4月と6月に宮城へ行って津波の被害の片付けの手伝った事ぐらいしか、行動に起こせていない。
この困難に直面している状況においても、個人的に直接の支障がなければ、今までの通り仕事を続けることも、生活をすることも、大事な事だと思う。ただ、もはや時代が変わってしまった訳で、「仕事」と「生活」ともう一つの事をやっていく必要に迫られていると思う。
それは、地震からの復旧、原発事故の解決、311とずれるが円安やデフレの経済的な問題の解決、これらは「政治」だと思う。どうやって政治を民が動かせるのか。日本は、学校で習って来たような「民主主義」国家なのか、少し疑問に思う事さえある。民主主義を行使できているのだろうか。
素直な実感として、仕事と生活に政治の存在力がない。ニュースで報じられている事も、感覚的には一番組に過ぎず、報道ではなんやかんやいっても、目の前の生活は、昨日のような一日を今日も過ごすという感覚だ。テーマパークな世界だ。
地続きの土地で問題は起きていて、どうも事実らしい。20年経って初めて身体に直接影響が出てくるのかもしれない。
ここ30年のうちで最も苦しい時代ともいえそうだ。こういう時こそ娯楽は必要だ。今までは仕事以外は娯楽だけでも良かった。しかし、もう政治に無関心ではいられないんじゃないだろうか。社会に対してどのような立ち位置と行動をとっていくのか、少なくとも表明する必要がある。そうしないと政治が動かない。
表現の事に話を戻す。表現者は別に仕事を持っている事もよくある。稼ぎの事の他に、常に何か考えるところがあって、それぞれの手法で表現を実行しているであろうと思う。その常に考える事の対象に、果たして政治が入っているだろうか。表現者は、思考を巡らす事は得意であるはずで、「今の状況がわからない」であってもいいのだから、何かを発するべきなんじゃないだろうか。
参政権を持つ以上、その権利を行使するために思考が必要だ。これを日本人の何割が行っているだろうか。そして、投票だけでは民意を反映できそうにない実感上、何かを発信していかなくては、何も変わらない。思いを伝えない事には、状況が変わらないのは多くの人はわかっている事だと思う。
一般的な報道ですら、少し疑いを持って調べなくてはいけない時代になってしまった。このまま東京に住み続けるべきか、これが極論なのかどうかという事は、自分で判断するしかない。自分がどこに住むのか、そのような個人の判断はそれぞれの勝手だ。これからどうやって原発の事故の片付けをやっていくのか(安心して東京で暮らしていく事も含まれる)、このような公共的な判断は政治に反映していくべきものだ。判断しない事には、精神的にまともに生活できない。
既に起きてしまった。どこかであきらめるしかない現実を片隅に持ちながら、それでも、少しでも満足できる人生を送りたくないですか?
表現できる人は少しでも、何かしらの方法で今の問題に触れるべき。そのような作品(発信したもの)に触れた人々はその機会を通じて生活に立ち返り、行動すべき。芸術の存在は娯楽性だけじゃないでしょう。「楽しければいい、格好良ければいい、何となくいい」だけではテーマパークだ。行動してはじめて、日本に文明的な時代が来るんじゃないだろうか。
今、変わり目。前向きに捉えれば、新しい時代が作れるチャンス。
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