2011年8月14日日曜日

[意見] 表現と政治と新しい時代

墨田の現代美術製作所で開催中の「アトミックサイト」展を見てきた。
現在日本で起きている状況、原発事故の問題が、きちんとアートに昇華され、目の当たりにできる展覧会だった。入場は無料なので、東京近辺の方は、美術関係者ならずとも、一般的に見やすいものになっているので、ぜひ一人でも多くの人が触れて、現状を考える一つの機会になってほしいと思う。

率直な感想は、この期間で発表できている事が素晴らしいし、この展覧会を行う事が、現状の日本社会に対しての一つの行動になっている事にも価値がある。元来、芸術がもつ社会的役割が行使されている。

現状、日本の多くの表現に関わる人々は、2011年の今の状況について、何かしら考えを発信しているだろうか。それは、何も専門領域にとらわれず、ブログなどを用いて文章で表現してもいいと思う。

自分自身も感情はもどかしい。今起きている状況を自分なりに理解して、どう行動すべきか見極めたいと思っている。問題と思う事があまりに多過ぎて、何をどう調べていくべきか迷う。4月と6月に宮城へ行って津波の被害の片付けの手伝った事ぐらいしか、行動に起こせていない。

この困難に直面している状況においても、個人的に直接の支障がなければ、今までの通り仕事を続けることも、生活をすることも、大事な事だと思う。ただ、もはや時代が変わってしまった訳で、「仕事」と「生活」ともう一つの事をやっていく必要に迫られていると思う。

それは、地震からの復旧、原発事故の解決、311とずれるが円安やデフレの経済的な問題の解決、これらは「政治」だと思う。どうやって政治を民が動かせるのか。日本は、学校で習って来たような「民主主義」国家なのか、少し疑問に思う事さえある。民主主義を行使できているのだろうか。

素直な実感として、仕事と生活に政治の存在力がない。ニュースで報じられている事も、感覚的には一番組に過ぎず、報道ではなんやかんやいっても、目の前の生活は、昨日のような一日を今日も過ごすという感覚だ。テーマパークな世界だ。

地続きの土地で問題は起きていて、どうも事実らしい。20年経って初めて身体に直接影響が出てくるのかもしれない。

ここ30年のうちで最も苦しい時代ともいえそうだ。こういう時こそ娯楽は必要だ。今までは仕事以外は娯楽だけでも良かった。しかし、もう政治に無関心ではいられないんじゃないだろうか。社会に対してどのような立ち位置と行動をとっていくのか、少なくとも表明する必要がある。そうしないと政治が動かない。

表現の事に話を戻す。表現者は別に仕事を持っている事もよくある。稼ぎの事の他に、常に何か考えるところがあって、それぞれの手法で表現を実行しているであろうと思う。その常に考える事の対象に、果たして政治が入っているだろうか。表現者は、思考を巡らす事は得意であるはずで、「今の状況がわからない」であってもいいのだから、何かを発するべきなんじゃないだろうか。

参政権を持つ以上、その権利を行使するために思考が必要だ。これを日本人の何割が行っているだろうか。そして、投票だけでは民意を反映できそうにない実感上、何かを発信していかなくては、何も変わらない。思いを伝えない事には、状況が変わらないのは多くの人はわかっている事だと思う。

一般的な報道ですら、少し疑いを持って調べなくてはいけない時代になってしまった。このまま東京に住み続けるべきか、これが極論なのかどうかという事は、自分で判断するしかない。自分がどこに住むのか、そのような個人の判断はそれぞれの勝手だ。これからどうやって原発の事故の片付けをやっていくのか(安心して東京で暮らしていく事も含まれる)、このような公共的な判断は政治に反映していくべきものだ。判断しない事には、精神的にまともに生活できない。

既に起きてしまった。どこかであきらめるしかない現実を片隅に持ちながら、それでも、少しでも満足できる人生を送りたくないですか?

表現できる人は少しでも、何かしらの方法で今の問題に触れるべき。そのような作品(発信したもの)に触れた人々はその機会を通じて生活に立ち返り、行動すべき。芸術の存在は娯楽性だけじゃないでしょう。「楽しければいい、格好良ければいい、何となくいい」だけではテーマパークだ。行動してはじめて、日本に文明的な時代が来るんじゃないだろうか。

今、変わり目。前向きに捉えれば、新しい時代が作れるチャンス。

2011年8月5日金曜日

[思考] これからの生活のための日々の思考

普段本をまず読まない自分が、久々に欲求的に買った本がある。

『言葉の力』猪瀬直樹著。この本では、本を読んで思考力と言語力を磨けと、書いてある。
そう諭されたいと思って買った訳ではないが、奇しくも、主題の状況と自分の状況が当てはまった。

この本にたどり着いたのは、猪瀬氏のツイートによる。氏をフォローしたのは震災直後に情報を収集する一環だった。久々に本を買う事に決めたのは、あきらかに変わらざるを得ない今の日本の状況で、自分はどう考えて行動するべきか、ヒントが欲しかったからだ。

自分が税金を納めている東京都で「言葉の力再生プロジェクト」というものが、進められている事は知らなかった。(都報などをきちんと見る必要もあるのだろうけど。)一応、頭でわかっていたが、東京都のツートップが作家である(実際は副知事は4名いるけど)、というのは、自分も芸術に近いところにいる立場としては、ある意味誇らしい事なのかもしれない。表現というものは、思考の結果みたいなものだ。日々思考している訳で、これは何も、芸術作品に対してだけ行う訳ではない。普段の生活に対しても、問い、考えて、行動する、という事をやっている。(自分が到達できているかは、また別だけど。)

この時代、どういう意図で生活をしていくのか、という事が、なかなか見えて来ない事がよくある。「生活のため」(生活"資金"のため)というのは、僕らの時代に通用させてしまっていいのか、少し悩む。これは、親世代がやってきた事であり、障害がないのなら、その先を目指すべきだと自分は思っている。

この事を、10年程、何とかできないものかと思って、生活してきている。物事を考えるという機会を与えてくれた芸術という手法は、自分にとっては有り難い。美術大学で学んでよかったと思えるのは、そういう思考回路になった事だ。(厳密にそのような方向付けになったのは、高校時代の進路指導による。初期の宮城県宮城野高校では貴重な経験をした。)

(まだ、作品に昇華できている考え事は無い。何も作品にする必要はないんだけど。だが、自分の生活や行動には、その考える思考回路は活きていると思っている。このように文字を書き(打ち)ながら考える事も、ままやる。ただ、自分は本を読んできていない。確かに、知識は欠けているんだろう。)

果たして、進路指導や就職活動は、そのような事について考える機会を与えていただろうか。目的はどこだったのか。実際に、会社の規模はどうであれ、その社員の方々は、その担っている現場の事を真面目に取り組んでおられるのだと思う。この事が、日本においては、基本的な部分で安定した生活ができる、という状況を作っていると思う。

ただ、どうにも先が見えて来ない、国として借金が増え続けている状態を、どう突破するのか。目の前にある仕事を真面目にやっているだけで、この問題が解決できると、いまいち思えない。いつか限界を迎えて、悪い方向に崩れてしまう事がないだろうか。

エネルギーや資源の問題と同じように、経済社会においても、いつまでも無理は通じないと思う。資源の限界と経済の限界は、関連しているだろうと思うからこそ、いかにサステナブルなデザインを行っていく事が大事か。これに取り組んで行きたいと思っている。

というような事を書き連ねる時に、たぶん自分は知識が足りないんだろうな。だから、主張が曖昧になるんだろうな。20代があと2ヶ月で終わってしまうが、本を読み始める、いい機会なのかもしれない。

2011年8月2日火曜日

[思考] 世界の端っこの国ニッポン

世界の陸地を中心に見れば、やっぱり日本は端っこの国だ。
アジア圏においても東端。
人口は1億3千程。
人種はほぼ単一といってよく、宗教は神教・仏教だが多神教体質、島国体質、
第二次世界大戦後の天皇象徴化、西洋化の影響で、ほぼ無宗教といってもいい。
勤勉な性格が根底にあり、集団行動が得意。
世界有数の大都市、東京が首都。現代的な都市がいくつかあるが、山間部など緑地面積も多い。
本州・九州の各都市間には新幹線が走り、狭い国土ながら飛行機は各地に飛んでいる。
生活環境におけるテクノロジーは世界最高水準で、携帯電話は人家エリアの99%に到達していると言われる。
よほどの山中でない限りどこでも、インターネットには何かしらの手段でアクセスできる。
大抵の場所で移動しながらのモバイルアクセスも可能。
田舎でも水洗トイレが主流で、ウォッシュレットも普及してきている。
生活水準は、概ね均衡状態といえるが、都市部では家賃が高く、郊外や田舎では賃金が安いため、
一概に生活がしやすいとは言い難い。

TVの浸透率が高く、大手メディアの影響を受けやすい。
文化は各地にそれぞれの手法で存在するが、後継不足で成長、進化の可能性は低い。
田舎回帰の風潮もあり、血縁地縁とは異なる形での継承が上向く可能性も。

島国ゆえ、外国人の流入に慣れておらず、英語も通じにくい。
物価は世界的に見ても高いため、海外からの観光客は他の先進国に比べて、その総数は少ないと思われる。
そのため、ドメスティックな文化傾向になりがち。文化を輸入しても大抵、日本風味に味付けされる。

思考、解釈の水準はやや低く、消費趣味が高じている事が多く見られる。

基本的に真面目な人種であり、それぞれが主体を持てば、かなり高度な文明社会が期待できるのだが、
大勢趣向で問題が表面化しにくく、実体は無関心社会であるという面もある。

勤勉な性格を反映して、優秀なデザイナーや研究者は多い。
高度なデザインを行う事ができるが、技術ベースになりがちで、世界的に通用するテイストはなかなかない。
職種のバリエーションは、かなり多岐に渡るが、これも国内的なものが多い。

本質的に良いものは、大勢趣向と逆に位置しやすく、一般的なガイドブックやメディアで取り上げれられる事が少ない。
実際には、探す事でかなり多くの「良いもの」に出会える。

アジアの、世界の「端っこの国・日本」は孤高なのか。孤独なのか。

(インドに行って思った事)

2011年7月3日日曜日

[日記] いろいろありすぎる国



こういう性格の国に来ています。


このカラーの国旗インドより。
あれ、カナダ???

1日までデリーに居て、
昨日からは、北のマナーリという避暑地に来ています。
5日にさらに北、レーへ向かう予定です。




僕の中ではインドのDJ TARO (デリーでお世話になった運転手サガェール)

マナーリのサイバーカフェという、トランスがかかってるインターネットカフェより。
(もしかしたら、一昔前のゴアっぽい人たちは、クルー渓谷あたりにいたりするのかな。)

2011年6月13日月曜日

[実感] 通う

10日の晩から昨日までの週末で、宮城に行ってきた。
東京に住む高校時代の友人と7人での団体で。
前回、お金をかけ過ぎてしまったので少し迷ったが、
通う事を実現するために、行ってきた。
実際の負担はだいぶ軽く済んだし、2度目が実現してよかった。
場所は同じく石巻市。無理せず続けるため同じ場所にした。

着いたとき、ボランティアセンターに集まっている人の多さは、
前回4月半ばに行った時と、同じ程度ぐらいか。別の場所にツアーの人々が集まっていたから、
その分多いのか。5月の連休を見ていないが、どんな感じだったのだろうか。
僕らは7人で車で向かい、僕自身石巻の手伝いは3度目だったのでリーダーとなり、そのまま班に振り分けられた。
心配だったが身内100%のメンバーなので、まあなんとかなるかと。

伺った先は石巻港エリア。目の前はちょっとした用水路、道路、工場でその先にすぐ海がある。
周囲は電線がまだ足れていたり、大きな瓦礫が横たわっていて、前回2度の場所に比べても作業量が目に見えて多そうだった。緊張したが、先方がかなり物腰柔らかな方だったので、作業しやすかった。

ニーズ表には、泥の掃き出しとあるので、家をまた使えるようにするために掃除をするのだと、つい思ってしまったが、聞く程に、最終的には家を取り壊すとの事。気になっているのは、家の衛生状態だという事だった。

人によっては、取り壊す予定の家を片付けても仕方ないと判断するだろう。
反面、貴重品が探し尽くせてなければ、なかなかあきらめる訳にもいかない。
ご本人は精神的にも体力的にも複雑であると察する。そこまでしか、どういう感じなのかはわからない。

ただ、泥を掃き出す。冷蔵庫を外に出す、(水で浮き上がり、下がった時に)洗面台にひっかかってしまった洗濯機を下ろして、外に出す。倒れかけの食器棚を安定させる。
泥を中を探りながら掃き出して行く。いくつか貴重品が出てきて、ご本人は喜んでいた。

気になる事を一つずつ片を付けて行く。
それで納得して前へ進んでもらう事、それが今回の作業とも思えた。

14:46、ちょうど3ヶ月目。狙った訳じゃないけど、現地で黙祷する事になった。
貴重な体験だ。

作業は気心しれた面子だったので、連携はかなりよく、がんばりきれたと思う。
泥の量はすごかった。

センターに戻って、報告書を書く。
推測するに、ニーズ表は全て言葉だけのやり取り。
可能ならば写真でやり取りする方が、より道具を準備して、人数も合った状態で作業できると思った。
依頼する側も作業量や状況を伝えきれているとは思えず。
センター側も受付の段階で、多少のカウンセリングができると、どういう作業をすればいいのか的確になりそう。
一日で終わらなかった場所は、その状況をやはり写真と作業者の立場でのコメントを引き継げば、情報を補完できそう。そのような提案、要望を書いておいた。
まず動く事が先決の状態だったから、今後、余裕が出てきたら少しづつそのような運用も工夫していければいいのか。

その後、気は引けたが女川へ。
道路際のがれきは撤去されていて、少しづつは進んでいた。でもその程度。
ちょうど、海からの冷たい風に変わったタイミングのようで、太陽の輪郭が見えるくらいの濃いもや。
ある程度より高い所が雲がかって見えない。
気温も夏を思わせる石巻と打って変わって半袖で肌寒い。
魚のような臭いが一面に漂っている。おそらくずっとここにいる人は慣れてしまって、感じていないかもしれない。
状況に加えて、そのようなシチュエーションとなり、たまたまだとわかっていながら、
なんでこんな景色になるんだと。

その後は石巻の道の駅で風呂に入り、イオンで食事。
なんか、ギャップが激しくて、どう考えていいものか。
普段通りできる事はやればいいので、その通りでいいのだけど。

日曜日は、松島の遊覧船に初めて乗った。
松島の外側の小島の様子も垣間見えた。
乗船客は観光のために乗っていて、町も観光船が動かなきゃ成り立たないだろうから、
それはいいんだけど、その景色をよく見れば、その小島の家も被害があるわけで、見えないけど、流されてしまったものは、その目の前の海に沈んでいるであろう。
なんかシュールで妙な感じだった。

次はいつ行けるかな。

一緒に行ったうちの一人、瀧さんのブログも合わせて読んでみて下さい。
http://takana.exblog.jp/15745668/

2011年6月3日金曜日

石巻からシンガポールまで[実感]

311以降、空気感の温度差が激しい。決して悪い事じゃない。

3月
<地震>↓
生き方変えなきゃならないか
抑制感

4月
<結婚式>↑
人の強さ
有り難み
希望感

<石巻>↓
物理的に起き得る現実を目の当たりにする
知る事による落ち着き

<大分>→
311以前の日常感
安定感

5月
<311振替舞台楽日>→
やっと進めた感じ
311以降の日常感

<シンガポール>↑
視野が広がった
ダイナミックな動きの傍らにいる事に気づく
発展感


地震を受け、変化した生活を受け入れた。しかし、基本的な事への影響は小さかった。

結婚式は予定通り実行した。有り難みと希望を頂いた。

その強みを持って、気持ちを地続きの苦労に向ける。ドメスティックな思考回路になる。

新しい時代をどう生きていくべきか。
日常をはじめていく。トルクが必要だ。

目に入ってくるものだけが全てとつい思っていた。
視野の外に大分、シンガポールが。傍らにあることに気づかされる。
動ける場所はある。安心も発展もある。

傾いた状況にバランスが必要だ。

良き方向への引っ張り方は、想像を超えるもので、しかも欲求的であると理想的。

これから新しい時代の夏を迎える。突き抜ける事でのバランスの取り方もありそう。

2011年5月23日月曜日

舞踏の音響 [雑感]

感触としては、演者と共に舞台に立っている気分。
実際、音もパフォーマンスする事を求められる。
ここ数年、何度かオペレーションをしたけれども、昨晩やっと取りかかり方が少しは見えてきたのかと感じた。

10年程、DJをやってきている。
いわゆる音響家としてのキャリアはなく、技術的な知識は少ないが、
クラブに限らず、雰囲気、時間の流れ、展開に関しては経験してきていると思う。

音響において、音質のキープは最低限必要。
この舞踏の舞台において必要な事は、"パフォーマンス"であり、
つまり、音楽鑑賞会ではないという事。楽曲の忠実な再現だけを求めない。

会場の特性を感じて、使用する楽曲の響き方をつかむ。
国柄、政情、街(環境)の雰囲気を感じながら、作品の展開、演者の集中度の流れに慣れる。
開場後に客層を眺めて、雰囲気も感じながら、アナウンス、BGMを使って、幕開けへ運ぶ。(既にここから作品が始まっている。)
幕が開くと、ホワイトノイズですら演出となる。(これが舞台上に立っているのと同じ緊張感。)
楽曲を楽しみながら、演者の動きに集中し、気を合わせて、時には耳に刺さるようなノイジーさも交え、時に再生音として、
適度なタイミングで楽曲の美しさを"使用"し、舞台上でダイナミックに変化する存在としてコントロールする。

DJブースで行っている事と重なる事が多い。
ダイナミックに変化する事を"見せる"事は、舞踏音響ならでは。
楽曲は演出家(今回は演者当人)が選ぶが、楽曲の型を借りた自分が舞台上に存在した時に、
その場の空気の瞬間瞬間にエモーションが生まれて、観客に伝わる事になる。

頭ではわかっていたつもりだったが、今回で実感した気がする。
とんでもない所にいる。有難。